難民高校生
絶望社会を生き抜く「私たち」のリアル
仁藤夢乃
High School Refugees
Our Reality Surviving in a Hopeless Society
by Yumeno Nito
translated by Matthew Long
はじめに
高校時代、私は渋谷で月25日を過ごす”難民高校生”だった。
家族との仲は悪く、先生も嫌いで学校にはろくに行かず、家にも帰らない生活を送っていた。髪を明るく染め、膝上15センチの超ミニスカートで毎日渋谷をふらついていた。
当時、私は自分にはどこにも「居場所がない」と思っていた。そして、私の周りには「居場所がない」と言って渋谷に集まっている友人がたくさんいた。
そんな高校生たちの存在を、世間はどう認識しているのだろうか。
「居場所がない高校生」に多くの人は目を向けいない。世間は彼らに何も期待しない。「渋谷をふらついている高校生」に対して、あたかも自分は彼らと違う世界の住人であるかのように接触を避け、街で見かけても目を合わせないようにして通り過ぎる。
都市か地方かにかかわらず存在する、「不登校」や「引きこもり」「ニート」と呼ばれる若者たちに対しても同様だ。彼らを「最近の若者」と一括りにし、彼らの存在や言動を「若者の問題」として自分とは無関係だと思っている人は多いのではないか。しかし、そうした若者たちは、それぞれ十人十色の葛藤があって今の姿になっている。そこに至るまでの背景には私たちが形成している社会があることを忘れてはならない。
いつの時代もそうだったのだろうか、大人たちは「最近の若者はダメ」と嘆く。
そして、その声は、若者たちの可能性を掻き消していく。
Introduction
During my teen years, I was a “high school refugee” spending 25 days a month in Shibuya.
I didn’t like my teachers so I barely went to school and I didn’t get along with my family so I didn’t go home. I dyed my hair and hung around Shibuya every day in a super-short mini skirt.
At the time, I felt like I didn’t fit in. And I was surrounded by friends who gathered in Shibuya because they didn’t fit in.
How are high school students like that viewed by society?
Most people don’t pay any attention to high school kids that don’t fit in. Society doesn’t expect anything of them. We avoid contact with those kids hanging around in Shibuya as if we live in different worlds, passing by without letting our eyes meet when we see them on the streets.
Whether in cities or in the country, young people known as dropouts, shut-ins, and slackers are all lumped together as “the kids these days” and there seems to be a lot of people who think those problem kids and their behavior has nothing to do with them. However, those young people ended up where they are now based on a variety personal struggles. And let us not forget that the society forming the background of those struggles is the one we made for them.
It must have been the same throughout the ages, adults grumbling that “the kids these days are no good.”
And those words scrape away at the potential of our youth.
「ダメ」なのは若者か
最近の若者は「ダメ」なのだろうか。
「最近の若者」である私には、そう嘆く大人たちがかつてどんな若者だったのか、わからない。 しかし、それでは「最近の大人たち」はどうなのだろうか。私は高校時代、たくさんの「ダメ」な大人たちを見てきた。たとえば、次のような大人たちである。
16歳のある日、制服で渋谷に出かけ、センター街で友人と立ち話をしていると、30代と思われる一人の男性に声をかけられた。
「ここに唾を吐いてくれれば、5000円あげるよ」
その男は紙コップを私たちの前に差し出した。友人が冗談半分でそこに唾を吐く。すると、男はバッグからおもむろにペットボトルに入ったサイダーを取り出し、紙コップに入った唾をそれで割った。そして、私たちの目の前でそれを飲み干し、「おいしかったよ」と言って友人に5000円を渡し、立ち去った。今思えばとてつもなく気持ちの悪い話なのだが、当時の私たちにはそのおじさんの奇妙な行動がおかしく、爆笑しながらその5000円をもってカラオケにいって、遊んだ。
他にも、渋谷駅前のスクランブル交差点の向かいで友人と待ち合わせをしているときに、「ちょっとごはんでもいかない?」とスーツ姿の「いかにもサラリーマン」という感じの男に声をかけられることやホテルに誘われることは日常茶飯事だった。そのたびに私は、制服を着た女子高生にスーツ姿の男性がよく声をかけられるものだ、と感心した。声をかけてくる男は20代から60代までさまざまだった。私はおじさんに付いていくことはなかったが、20代ぐらいのイケメンの男にナンパされて友人と一緒に付いていくことはあった。当然ながら見知らぬ男と遊んでいる中で危険を感じたことは多々あったし、実際に被害に遭った友人もたくさんいた。
当時の話をすると「昔流行った携帯小説の話みたい」と言われることがよくあるが、これは小説ではなく現実に起きていたことであり、そしてきっと今も起き続けていることなのだ。そんな大人たちを見るたびに、私は大人が嫌いになった。
「ダメ」なのは、本当に若者なのだろうか。
髪を染め、化粧をし、渋谷で派手な遊びをしていた私は学校でも噂になっており、教師たちから厳しい視線を集めていた。家族ともうまくいっていなかった当時の私にとって、渋谷は最後の逃げ場であり、唯一の居場所だった。しかし、そんな私の唯一の居場所は「ダメ」な大人で溢れていた。そんな大人たちに触れるたび、私は未来に対する希望をなくし、社会に絶望していった。
さらに、そんな社会をつくっている大人たちから「最近の若者は……」と嘆かれるものだから、自分が何のために生きているのか、わからなくなった。
The Kids are No Good?
Are the kids these days no good?
As one of those kids, I can’t imagine what the adults that say that kind of thing must’ve been like when they were young. Anyway, what about the adults these days? When I was in high school, I saw a lot of no-good adults. For example, adults like the following.
One day when I was 16, I went to Shibuya in my school uniform, and was standing on Center Street talking to a friend when a 30-ish looking man started talking to us.
“I’ll give you 50 bucks if you spit in here for me.”
The man held out a paper cup in front of us. My friend half-jokingly spit in the cup. When she did, the man slowly pulled a bottle of soda from his bag and mixed it in with the spit in the cup. Then he gulped it down right in front of us, said, “delicious,” handed my friend $50, and left. Thinking about it now, it’s an unbelievably gross story but, at the time, we just thought his strange behavior was funny so we busted out laughing and then used the 50 bucks to go to karaoke.
Besides that, it was a common occurrence to be invited out to dinner or even to a hotel by older men while waiting for my friends in front of Shibuya station at the scramble crossing. I was always amazed that young girls in their school uniforms were being hit on by grown men in suits. There were all kinds of men ranging in age from their 20s to 60s. I never went out with an older guy but some of my friends went along with the younger, good looking ones. Of course, they often felt unsafe hanging out with men they didn’t know and a lot of them actually ended up being victimized.
People often say that it sounds like a story from a manga or something when I talk about those times. But it’s no story. It really happened and it’s definitely still going on now. Seeing people like that always made me hate adults.
It’s really the kids that are no good, right?
I dyed my hair and wore make-up and hung out in Shibuya so rumors started going around school about me and I got a lot of dirty looks from my teachers. At a time when things weren’t going well with my family either, Shibuya was my last escape and the only place I fit in. But the only place I could fit in was overflowing with no-good adults. Every time I was exposed to them, I lost hope in my future and felt hopeless for society.
More than that, since I was one of “the kids these days” being lamented by the adults supporting that society, I began to lose track of what I was living for.
分断された若者/大人の社会
私が言いたいのは、「最近の大人たちはダメ」とか「若者はダメ」とか、そういうことではない。「最近の若者は……」と嘆いている大人たちの中に、どれだけ「最近の若者」と関わり合いをもっている人や、「最近の若者」の現状を表面的に捉えるだけでなく彼らの生活や抱える問題とその背景を把握し、理解している人がいるだろうか、ということだ。おそらく、多くの大人は「最近の若者」たちとの関わりの機会を持っていない。今の「若者のリアル」を知っていると自信を持って言える人は、ほとんどいないだろう。
高校時代、「大人はわかってくれない」と思っていた私は「この経験や葛藤を大人になっても忘れてはいけない」と心に決めていた。それは、「将来、今の私のような高校生のリアルを大人たちに知ってもらいたい、理解してもらいたい」と考えていたからだ。
そんな私ですら、当時の生活から離れて数年、22歳にしてその頃のリアルを徐々に忘れつつあるのだから、若者との関わりをもたない大人が今の若者を理解することは簡単ではないだろう。
振り返ってみると、数年前、渋谷でたむろしていた私たちは、大人からわかってくれない、と「大人たちの作る社会」で生きることを諦め、「自分たちの社会」をつくっていたように思う。大人から理解を得ることを諦めた若者が、自分たちの社会をつくり、その中で生活するようになると、大人たちはますます若者たちのことがわからなくなってしまう。そして、よくわからない「最近の若者」に対する批判は「理解できない」という諦めになり、最後には無関心になる。こうして、大人と若者の溝は深まっていく。
大人と若者の社会は、分断されている。
だからこそ、私は今、大学生という立場でこの本を書きたいと思った。
この本では、大人と子供の間の「若者」として、これまで私が出会って「最近の若者」たちのリアルを伝えてい。
Separate Societies for the Young and Old
What I want to say isn’t that adults these days are no good or young people are no good. Rather, I want to ask the adults complaining about the kids these days how many of them have had any involvement with those kids and I wonder if any of them understand, and not just superficially, but truly grasp the current situation the kids these days face, what their lives are like, what kinds of problems they have, and what underlies those problems. It’s likely that most adults haven’t had the chance to interact with today’s youth. There probably aren’t very many people that can confidently say they know what reality is like for young people these days.
When I was in high school, I thought adults just didn’t get it so I promised myself that when I grew up, I wouldn’t forget what my experiences and struggles were like. In the future, I wanted people to know about and understand what reality was like for young people like me.
But even me, being 22 now and having left that lifestyle behind for a few years, I’m gradually forgetting more and more what that reality was like. So I know it must not be easy for adults that don’t have any contact with young people to understand them.
Looking back on those years, those of us hanging out in Shibuya decided to make our own society since we had given up on living in the one that the clueless adults had made. When young people give up on gaining the understanding of adults and start making and living in their own world, it gets harder and harder for people to understand them. The idea that we don’t get the kids these days makes us give up on trying to understand them. In the end, we become indifferent. That’s how the gap between the young and old widens.
The societies of the young and old are separated.
And that’s why I want to write this book now while I’m still a college student.
In this book, as a “young person” that’s no longer a child but not yet an adult, I want to convey what reality is like for the kids these days that I’ve met.
“難民高校生”とは
高校1年生の私の生活は、こうだった。
毎日起きるのはお昼過ぎ。家族と顔を合わせないよう、全員が出かけたのを見計らって自分の部屋を出る。出席日数を稼ぐために気分が乗らないまま電車に乗って高校に行き、午後の授業に少しだけ顔を出す。放課後は友人と渋谷に向かい、夜まで遊んで過ごす。渋谷には友人がたくさんいて、私たちはカラオケに行ったり、プリクラを撮ったり、居酒屋のキャッチのお兄さんやアクセサリーショップの店員とおしゃべりしたり、ファーストフード店でたむろしたりして時間を潰していた。家に帰りたくなかったから、いかにして夜まであまりお金を使わずに過ごすかを考えていた。ごはんをおごってくれるという大学生と飲みに行くこともあったし、終電を逃したときはナンパされて知り合った社会人の男を呼び出して車で家の近くまで送ってもらうこともあった。
私はいつも、自分と同じように「居場所がない」と言っている友人たちと行動していた。一緒にネットカフェに泊まったり、カラオケでオールしたり、お金がないときはファーストフード店の客席で仮眠しながら朝が来るのを待ったり、公園やビルの屋上に段ボールを敷いて寝たりすることもあった。私にはそういう生活をしている友人がたくさんいた。
私は、かつての私のように家族や学校、他のどこにも居場所がないと感じている高校生のことを”難民高校生”と呼んでいる。
当時の私や、私の周りにいた友人たちは、家族にも学校にも居場所を失くした”難民”だった。家族と学校の往復を生活の軸にしている高校生は、限られた人間関係しかもっておらず、家族や学校での居場所失くすとどこにも居場所がなくなる。家にいても学校にいても落ち着かず、安心して過ごしたり眠ったりできる場所がなかった私は、同じように「居場所がない」と感じている高校生たちが集まっていた渋谷で毎日を過ごすようになった。
渋谷は私にとって最後の居場所だった。そこは、目には見えない、形のない「難民キャンプ」のような場所だった。
ワーキングプアや貧困問題に取り組むNPO「もやい」事務局長の湯浅誠氏「〈貧困〉というのは”溜め”のない状態のことだ」と言っている(『貧困襲来』山吹書店)。
湯浅氏は著書の中で、貧困に陥らないためには、「金銭的な溜め」や「人間関係な溜め」、そして「精神的な溜め」が必要だと述べている。もし職を失っても「金銭的な溜め」があればそのお金でしばらくは食べていけるし、親や友人などの「人間関係の溜め」があれば新しい仕事を紹介してもらえたり、次の仕事が見つかるまで家に住まわせてもらえたりするかもしれない。「精神的な溜め」とは、自分に自信がある、自信があって気持ちにゆとりがある、といったことだ。「金銭的な溜め」がなくても、「人間関係の溜め」や「精神的な溜め」があったことで救われたという経験を持っている人もいるという。
“難民高校生”たちの問題も同じだ。彼らは「溜め」を持っていない。
家族と学校の往復を生活の軸にしている多くの高校生は、家族や学校生活での関係性が何かをきっかけにして崩れ「人間関係の溜め」を失うと、すぐに居場所を失くしてしまう。
家族や学校に居場所を失くした高校生が、彼らを見守る大人のいない状態で生活するようになると、そこに危ない誘惑がたくさん待っている。
私は渋谷で何人もの「ダメな大人」と出会ったし、未成年の少女たちを水商売や売春に斡旋する場面を何度も目にしてきた。高校生が家に帰らず遊んだり、どこかに泊まったりするためにはお金が必要だが、彼らは「金銭的な溜め」ももっていない。だから”難民女子高生”は、ごはんをおごってくれるとか、泊めてくれるという男の人についていったり、給料が高いことを理由に水商売などの仕事に就いてしまう。”難民男子高生”も、手っ取り早くお金を稼ぐために出会い系サイトのサクラのバイトやパチンコの打ち子をしたり、ホストになったりする。しかし、女子高生を家に泊めてくれる人や高時給で働かせてくれる仕事というのは、彼女たちの若さや体を目的としたり売りにしたりするようなものばかりだし、男子高生を高時給で雇うような仕事も危険なものばかりだ。
ただでさえ家族や学校に居場所を失くして精神的に傷ついている”難民高校生”たちは、そういう生活を続けるうちに、「自分は何をしているのだろう」「これからどうなっていくのだろう」と不安になり、「自分なんてだめだ」と自信を失くし、「精神的な溜め」をも失っていく。私もいつからか、自分や社会に絶望し、死にたいとすら思った。
ずっとこんな生活を続けていても何も変わらないことはわかっていたし、こんな毎日から抜け出したいと思っていたけれど、私にはどうすればいいのかがわからなかった。
High School Refugees
Life during my first year of high school was as follows.
I woke up after lunch every day. I didn’t want to see my family so I’d leave my room when I figured they had all gone out. I’d get on the train in a bad mood and go to school to show my face a bit in afternoon classes just so I could earn a day of attendance. After school, I’d head to Shibuya with my friends and hang out until night time. I had a lot of friends in Shibuya and we’d go to karaoke or take print club pictures, we’d chit chat with the clerks at accessory shops and the guys working for pubs whose job was to pull in customers off the street, or we’d just kill time hanging out at fast food places. We didn’t want to go home so we’d try to figure out how we could stay out late without spending much money. We’d go out drinking with college guys that would buy us dinner and, if we missed the last train, we’d call older guys we had gotten to know that would give us a ride home.
I was always doing stuff with friends who, like me, didn’t fit in. We’d spend the night at internet cafes, or stay out all night at karaoke, or, when we didn’t have money, just wait out the morning half-sleeping in fast food joints or even spread out some cardboard and sleep in a park or on a roof somewhere. I had a lot of friends that were living like that.
I call them high school refugees. High school students that are like I used to be, that can’t go home or to school and feel like they don’t fit in anywhere.
At the time, my friends and I were refugees that had lost our places at home and school. High school students whose lives revolve around going back and forth between home and school only have a limited number of personal relationships. Once they no longer fit in there, they have nowhere else to go. Whether at home or school I didn’t feel settled, I didn’t have a safe place to spend time or sleep so, like all the other high school kids that felt they didn’t fit in, I started spending my days in Shibuya.
For me, Shibuya was the last place I felt like I belonged. That place was like a hidden, formless refugee camp.
According to Mr. Makoto Yuasa at Moyai, an NPO that deals with the working poor and poverty issues, “Poverty is a situation in which one lacks reserves” (Poverty Invasion, Yamabuki Shoten).
In his book, Yuasa claims that financial reserves, relationship reserves, and emotional reserves are necessary to avoid falling into poverty. If you lose your job, you can continue living off of your savings for a while if you have financial reserves and your parents and friends from your relationship reserves might be able to introduce you to a new job or let you stay with them until you start working again. Emotional reserves are believing in yourself, and having a bit of leeway when it comes to your self-confidence. It seems that there are even people with no financial reserves who have been able to rely solely on their relationship and emotional reserves.
The high school refugee problem is the same. They lack reserves.
Most high school students’ lives revolve around the back and forth between family and school. If for some reason their family and school connections collapse and they lose those relationship reserves, they also immediately lose their place in the world.
High school students that have lost their place at home and school start living a life where no one is looking out for them and a lot of dangerous temptations await.
I met a lot of bad people in Shibuya and I saw numerous cases of underage girls being coerced into nightlife and prostitution work. High school students that can’t go home need money to hang out and have a place to sleep but they don’t have any financial reserves. So female high school refugees hang out with men that will treat them to dinner and give them a place to stay or they end up doing nightlife work because the money is good. Unfortunately, men that are willing to give these girls a place to stay are just after one thing and the good paying jobs are all asking them to sell their youth and bodies. Male high school refugees make quick money by working as impersonators on dating sites or shills in pachinko parlors or they start working as hosts at bars. The good paying jobs for them are all dangerous too.
These emotionally wounded high school refugees who’ve lost their place at home and school go on living like this and begin to worry, “What am I doing?” “Where am I gonna go from here?” They lose their emotional reserves, no longer believe in themselves, and start thinking, “I’m no good.” At some point, I too lost hope in myself and society and I even thought that I wanted to die.
I knew nothing would change as long as I kept living like that and I wanted to escape from it but I didn’t know what I should do.
“難民高校生”のその後
高校2年生の夏、私は高校を中退し、その後もしばらく同じような生活を続けていた。しかし、ある大人との出会いをきっかけに、私は変わった。その後、さまざまな経験や出会いを通して「人間関係の溜め」や「精神的な溜め」を手に入れるこたができた私は、大学に進学し、今では「若者と社会をつなぐきっかけの場づくり」の活動をしている。
私が今この本を書いているのは、”難民高校生”の存在や彼らが抱えている問題を多くの人に知ってもらう必要があると考えているからだ。なぜなら、彼らの存在は一時的なものではなく、”難民高校生”の問題は次の世代へ連鎖するからだ。
数年前、私が渋谷で一緒に過ごした友人たちの多くは、今も当時の生活から脱することができていない。20代となった今でも「居場所がない」と言いながら、キャバクラなどの水商売や風俗店で働いたり、日雇いや派遣のアルバイトをしたりしながら、なんとか生活している。
高校時代に「時給がいいから」といった軽い気持ちで、水着のような露出の多い衣装で接客をする居酒屋や出会い系サイトのサクラのバイトをはじめる。しばらくそれを続けると、もっと時給のいいバイトを求めてキャバクラやホストクラブで働くようになる。最初から体を売りにするような仕事をしたいと思ってはじめる高校生はほとんどいないけれど、そういう仕事を続けるうちに「もうここもで来ちゃったからいいや……」とか、「他にできる仕事はない……」という開き直りや諦めの気持ちが出てきて、「体は減るものじゃないし……」と自分に言い聞かせ、水商売や風俗の世界で働き続けるようになる。「このままではよくない」と思っても、どうしたらいいのかわからないし、「溜め」がない彼らには頼れる人もいない。目的をもってお金を稼ぐためにキャバクラでバイトする女子大生と、高校生のうちからそういう世界に足を踏み入れている彼女たちとはわけが違う。
20代になった彼女たちは今、高校時代よりお金を稼ぐことはできているかもしれないが、不安定な職に就いている人が多く、「溜め」と言えるほどのお金はもっていない。そして、高校時代と変わらず、頼りにできる人間関係や精神的な「溜め」をもたないまま、居場所のない生活から抜け出せないままになっている。私は、そういう”元・難民高校生”を何人も知っている。
このままの生活を続ける以外にどんな選択肢があるのかすらわからないまま、そうした生活を続けるうちに、彼らはそういう世界で生きる人たちとの人間関係しかもたなくなる。そして、ますます「溜め」のない難民生活から抜け出せなくなっていく。
“難民”となった高校生が、「溜め」を手に入ることができないまま大人になると、貧困に陥る。そして、新たな「溜め」のつくり方も知らないままに彼らが親になると、その子どもにまで貧困が連鎖してしまう。
“難民高校生”の問題は、貧困問題なのだ。
After Being a High School Refugee
In the summer of my sophomore year, I quit school and, for a while, I kept living like that. Luckily, I met someone that helped me change. Through a variety of experiences and encounters, I was able to obtain relationship and emotional reserves and then I went to college. Now I’m working to build a place where young people and society can start connecting.
I’m writing this book now because I think it’s important to tell people about high school refugees and their problems. Their existence is not a temporary issue. The high school refugee problem will be passed on to the next generation.
Most of the friends I was hanging out with in Shibuya all those years ago weren’t able to escape that lifestyle. Even now in their 20’s, they still don’t fit in and are just making a living as day laborers and part-time dispatch workers or working at nightlife places like cabaret clubs or even in the sex industry.
In high school, you start doing work like part-timing as an impersonator for dating sites or waiting tables in a revealing uniform that looks like a bikini or something without giving it much thought because it pays well. You keep doing that for a while then you progress to working in cabaret clubs or at host bars because you want an even better salary. There aren’t many high school students that start out thinking they want to sell their bodies, but once you start doing those part-time jobs you begin to think, “Well, I’ve already come this far…” “There’s no other job I can do…” You just give up or don’t care anymore, convince yourself that your body’s not going anywhere, and then you end up in the nightlife or sex industry. Even if they think they can’t keep going like that, they don’t know what to do and, since they lack reserves, they don’t have anyone to go to. College students that start working part-time at cabaret clubs to save money towards some goal are different than the girls that end up falling into that world while they’re still in high school.
Now in their 20’s, they may have more money than they did when they were students, but a lot of them are in unstable work, so it isn’t enough to be considered a financial reserve. And, just like when they were in high school, they don’t have any relationship or emotional reserves to rely on so they haven’t been able to escape from the don’t-fit-in lifestyle. I know a lot of former high school refugees like that.
Since they don’t even know what other kinds of options are available to them, they just keep going on in the same way and only ever get to start relationships with those living in the same world. And so more and more they become unable to escape from the no-reserve, refugee lifestyle.
High school students that become refugees turn into reserve-lacking adults that then fall into poverty. When adults that don’t know how to create their own reserves become parents, they pass their poverty on to their children.
The high school refugee problem is a poverty problem.
防げ!難民化
貧困の連鎖を止めるには、”難民高校生”たちが「溜め」のない状態のまま大人になっていくのを防ぐ必要がある。そして、家庭や学校以外に溜めをもっていない”難民高校生予備軍”が難民化するのを防ぐことも必要だ。
難民高校生や予備軍のために必要なのは、家庭や学校の「外の社会」とのちょっとした人間関係や、精神的な「溜め」なのだ。
“難民高校生”を増やさないためには、大人たちが彼らを社会の一員として捉え、彼らの状態や置かれた状況を知り、その背景を見直すことが必要だ。
その第一歩として、私はこの本を通して、読者のみなさんに”難民高校生”の存在を知っていただきたいと思っている。
この本では、私がなぜ”難民高校生”になったのか、そして、そのあとどのようにその状況を脱し、今どのような生活をしているのかを紹介したい。この本が、読者のみなさんにとって「最近の若者」たちの抱える問題や、その背景を捉えたり、一人ひとりにできることを考え直すきっかけとなったら幸いだ。
Refugee Prevention
In order to stop this succession of poverty, it’s necessary to ensure that high school refugees don’t grow into adulthood in a reserve-lacking state. It’s also necessary to prevent at-risk students, those that lack reserves outside of their home and school lives, from becoming refugees.
What the refugees and those at-risk need is the creation of some relationship reserves outside of the home and school as well as a build up of emotional reserves.
In order to prevent the increase of high school refugees, adults have to regard young people as individual members of society, understand their circumstances and the situations they’ve been placed in, and take another look at what’s underlying those situations.
As a first step towards that, I want to let readers know about the existence of high school refugees.
In this book, I’d like to tell you how I became a high school refugee, how I escaped that situation, and what kind of life I’m living now. I hope this book can help readers understand the problems of the kids these days and the issues underlying those problems, and I hope it becomes an impetus to reevaluate what each of us as individuals can do to help.
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